知識と専門家

今の社会を眺めていると、専門性を持った人が重宝されているといえる。理由の1つは、その人に置き換えられる人材が皆無だからと考えられる。つまり、コンピューターシステムが高度化した現代では、高度な専門分野以外ではシステムによって置き換えることが可能である。たとえば、会計の知識が無くても、クイッケンを使えば誰でも会計処理することができる。しかし、システムではできないことがある、それは、創造的処理である。つまり知識を総動員して目的を達成することである。


すみません、日記が長いので結論を先に書きます。興味を持ったら残りを読んでください。

学位は知識を体系的に学んできたという証拠になる。それはその人の強みとなる。しかし、それ以上に大切なことは、常に新しいことを学んでいき、それらの知識を総動員して目的を達成することである。そして、知識に優劣をつけてはいけない、知識の位置づけは、共通の目的に対する貢献度で規定されるべきである。
また、高度に専門化した現在の知識社会では知識を有するあらゆる者が、数年ごとに新しい知識を仕入れていかなければならない。



さて、私の進路を考えてみます。私は材料系で修士まで行かずに、学士は材料、修士は技術経営を希望しています。そしてこの進路は、学士と修士を共に材料で終えた人にくらべて専門性が落ちるのではないか、という疑問が浮かびます。日記の始めに今の社会は専門性を持つ必要があると書きました。ここにきて、自分の進路に自問自答を重ねることが必要になりました。
結論を先に書くと、技術経営に進むです。これは、専門性という観点から考えたと共に、最終的な目的を考慮してです。


まず「専門家の強みは何か」という非常に奇妙な問いかけから思索しました。他の人に置き換えられない存在であるということは外的要因で相対的な強みになっていといえます。では、本質的な強みとは何なのでしょうか。考えはまとまりました、早速教授に意見をぶつけてきました。


概略で書きます。まず、スペシャリストとゼネラリストの話に持っていって、今の社会はスペシャリスト志向という考えで一致しました。
私「先生は、スピントロニクスの専門家です。専門家の強みは、他人と置き換えられないという以外に何か強みはありますか?ええと、非常に奇妙な質問をします、先生が5年後の未来に一瞬で飛んだ場合、専門家としての強みはありますか?」(今、考えると、失礼な聞き方かな…、今度謝ろう。)


教授「時代と共に必要とされる専門知識は変わっていくと思います。5年後であれば、やはり専門家としての強みはあると考えます。しかし、10年20年という期間で考えた場合は研究テーマ自体が変わっていかなければ成りません。社会に求められている研究に変化していくという考えです」
私「なるほど。わかりました、ありがとうございます。先生、奇妙な質問をしたのは、私は専門家の強みは常にその分野に関しての最新の知識を学んでいることだと考えたからです。つまり、それらの知識を組み合わせて、目的に対して、アウトプットを出すことができるので貴重な存在であると考えたのです。5年後に飛ぶという仮定を持ち出したのは、知識を吸収せずに5年間過ごした場合どうなるかという点に注目してです。つまり、5年後であれば、先生が今もっている最新の知識ストックは大学などで体系化して、学ぶことができるようになっていると考えます。つまり、新しいことを学んでいくことが最も重要だと考えています。」
と、いいつつ、話をまとめるまえに、私自身で、次の話題に振ってしまいました。


さて、寝る前に今日、学んだこと、知ったことを振り返ることが習慣と成っています。それで、昼間のことを再考してみたら、私と教授が言っていることは本質的に変わらないですね。教授は、研究主体を変化させていくことが必要であるといっていました。このことは新しい知識体系を吸収し、成長していくことだと思います。私の考えと同じです。