技術戦略

□ 米国自動車産業にみる、技術戦略 □
         2005年5月12日 仙台にて

概略
アメリカ自動車業界は、技術的イノベーションを迎える時期に、十分な投資を行わなかった。結果として日本勢との技術的乖離は増大した。もはや、GMが再起する方法は限られている。アメリカ産業の象徴だったGMの自動車業界撤退さえ起こりうる。

背景
アメリカでは、四半期ごとに業績の発表が必要となる。そして、株主を意識しすぎる傾向がある。結果として、長期的計画を伴って利益を上げる分野への投資はされなくなり、短期的利益を追求するようになった。当然、膨大な時間とコストがかかる基礎研究からは撤退する企業があいついだ。そして、それらの分野での技術的優位性は落ちた。

そして、ボーダーレス化が進んだ現代では、企業の競争力に決定的な影響を与えるものは、経済学の生産要素ではなくなりつつある。即ち、土地、資本、労働が競争力に与える影響は二義的になりつつある。それらのものは、現代社会では容易に調達可能であるからである。そして、自動車産業で決定的な競争優位性をもたらすものは技術的優位性となった。

解決策
アメリカ産業は業績が悪化すると大規模なレイオフを行って再起を図ってきた。IMBのルイル・ガースナーは数万人の従業員を解雇した。GEのジャック・ウェルチは従業員の半分近くを解雇した。そして、それだけが主要因ではないものの業績改善の第一歩となったのは事実である。それでは、現在のアメリカ自動車業界も同様の方法で改善可能であろうか。答えは、否である。なぜなら、自動車業界の問題はコスト体質と技術的劣位だからである。IBMやGEは他社に技術的劣位が合ったわけではなく、コスト体質に問題があったのだ。

アメリカでは、改善の見込みがない事業は売却か撤退をすることになる。GMが自動車業界から撤退し、金融業者に代わることも起こりうる。しかし、それを行わずに、改善する方法がある。それは非常に単純なことで、技術的支援を受けるということである。後日、GMトヨタのトップ会談が予定されている。その会談にGMの運命は託されていると考える。
自動車業界
トヨタGMへの技術提供が示唆されている。見方を変えればトヨタGMをライバルとは、見なしていないのである。なぜならば、ライバルに自社のコアコンピタンスである技術を提供することは、自社の衰退に繋がるからである。トヨタGMに技術提供することの意味合いはいくつかある。その中で最も意識していることはHondaへの対抗意識だと考える。

Hondaは技術優位性でトヨタを脅かす存在である。それで、トヨタGMとの技術提携により、ハイコスト技術の量産化をし、ディファクトスタンダードになることで、原価低減効果を期待したいのである。しかし、始めに述べたように原価低減は二義的な意味となる。もし、Hondaに技術的イノベーションが起これば、Hondaの圧倒的競争優位となる可能性がある。そして、Hondaにはその可能性が十分にある。なぜなら、他の自動車会社とは異なり、世界で唯一、研究開発部門を別会社化しているからである。そのことは、目先に利益を追い求めることなく長期的計画による創造的な技術開発に結びつけることができるからである。

経営者
経営者の手腕は何によって評価されるべきであろうか。私は経営とは、人をもって何を生み出すか、と定義する。盛田昭夫さんの言葉を借りれば、経営とは、その人がいかに大勢の人間を組織し、そこからいかに個々人の最高の能力を引き出し、それを調和の取れた1つの力に終結しえるかで図られるべきだとおもう。ということになる。経営は四半期の収支決算だけでは判断されるべきではない。
これらの説明が最も当てはまる事例はジャック・ウェルチである。彼が社員を半分近く解雇したとき、彼の評価は最低だった。しかし、彼はGEをGE Valueという価値観で統一し、多様な個性が分散化を招くのではなく、逆に相乗効果とすることに成功した。そして彼は現代で最も優れた経営者の一人として評価されている。


まとめ
高性能であることを必要とする、あらゆる産業は、技術的優位性を保たなければ成らない。そして、それをディファクトスタンダードの地位にまで高めなければ成らない。また、経営者は短期的計画と共に長期的計画にも目を向けなければ成らない