所属

人が成長するには、自己啓発することと所属に対して責任を持つことが重要だと何度か言ってきました。所属というのは毎日通う研究室だったり職場だったりします。友達の日記を読んでいたら、自分が変になったのは回りが変だったからという主旨が書いてありました。これはつまり、所属が自分の成長に影響を与えたということです。


私は自分の周りを眺めると、平均の範囲に入るので、自分は一般的平均的だと思っていました。しかし、、、全国平均でみると、変な方に入るかもです。例えば、高校のとき、誰かがバリカンを持ってきたので、数十人の人が坊主にして、「無料だ無料だ」と喜んでいました。前日に床屋に行って切ってきた人も丸刈りにしていました。ところが、最近「いじめで丸刈りに」という記事をみました。ということで標準的な行為ではないようです。
そういえば、家に帰って「無料で切ってもらえた」と言ったら、母が「へぇ、凄いじゃない、良かったね」といっていたような気がします。


所属は重要です。そして、友人が、所属を変えるようであり、原因が教授の指導方針からです。それで今日は、関連がありそうな昔の日記を引っ張ってきました。他の人も管理職に就いたら役に立つと思うので、時間があれば読んでみてください。

                • この文章を先日叱ってくれた人に捧げる--------


先日、叱られました。

人の才覚を伸ばすには、褒める方法があります。しかしながら
褒めるだけでは、自己反省、自己啓発をしない人に成りえます。
それで、叱るということは、非常に意味のある行動です。

しかし、残念ながら近年では、叱ることの出来ない人が増えてきていると感じます。おそらく、適切に叱られた経験が少ないので、叱り方がわからないのだと思います。そこで、今日は、経験不足ではありますが、叱り方の所見を述べたいと思います。

その前に、私は叱られると、その人に惚れる可能性が非常に高いです。だって叱ることは、叱っている本人のためというより、私のために叱ってくださっているからです。それに、叱れば変化があると思って、言ってくださっているわけですから、そう思われること自体、非常に嬉しいです。


まず、「叱る」と「怒る」の違いについて書きます。
「叱る」とは、理性的な行動である。論理の流れの中で相手を分析し、解決策を考えたうえで、冷静に相手の悪い点や間違っている点を指摘してあげること。

「怒る」とは、感情の流れに起因し、論理を無視して、自分の感情をおさめるためにすること。当然、問題解決を図ろうとするのではなく、解決策も用意していないので、建設的な結果とならない。
管理職の人でも「叱る」と「怒る」の混同をしている人がいると思います。まずはこの差異を理解することが大切です。

ただ「怒る」にも建設的なものがあります。その方法は、自分の考えをぶつけそこに感情をこめ、誠実に怒るということです。この手法をとっていたのが、本田宗一郎氏です。彼は顧客でも、取引先でも怒鳴りつけ、時には殴りつけて怒ったそうです。

しかし、彼に反感を持った人はほとんど居ず、多かった感想は「おやじ」に怒られた、です。要するに彼の叱り方は感情丸出しですが、そこには相手を責めよう、いじめてやろうという意識は全くなく、自分のことをなぜわかってくれないんだ、という気持ちだけです。それで、叱られた人は自尊心が傷つかない、「叱られたとき、とても温かく感じた」というような感想になるわけです。


次に、具体的な叱り方を書きます
・相手の性格や反応の仕方を分析しておく。
・何のために叱るのか明確化し、伝えるべきことを考える。
・結果として何を期待するのか、目的を決めておく。

一般的な叱り方として「良い点を褒める」→「改善すべき点を述べる」→「改善方法当を示す」があります。しかし、最も効果的な叱り方は、個人で千差万別であり、相手の本質を掴んで適切に変える必要があります。

以下に多くの人に適した叱り方ではない、と思うことを少しだけ書きます。
・個人攻撃・人物批判をする。(これは相手の主張を認めようとせず、全人格を否定することになりえます。)
・過去にさかのぼって叱る(人は日々進化しています、過去のことを持ち出して叱るのは、その人は成長していないと思っているからです。もちろん、成長していないなら指摘することは重要です。)
・他人と比較して叱る(これは、人によっては効果がありますが、以下の点からお勧めしません。叱る側は、理由の明確化ができる、競争心を呼び起こせる、具体的な到達目標を示すことが出来ると考えます。一方、叱られる側は能力がないことを思い知らされる、自分への評価がはっきりと出てします、自尊心を傷つけられると考えられます。つまり、見解の差異が激しいのでお勧めしません。


叱るのは、難しいです、初めに相手の分析をすると書きましたが、これは言い換えれば、叱られる側の気持ちになって考えるということです。これも相手の本質を掴んでいないと非常に難しいです。やはり、適切な叱られ方をするには多く叱られることが手っ取り早いかもしれません。


次に、叱られる意義を書きます。
叱られないでいると、それでよいものと思ってしまいます。それが進むと傲慢になり、物事を甘く見るようになります。結果として反省しなくなり、こうなると人格の成長はそこで止まります。
たとえ、理不尽な叱り方をされたり、自分が論理的に正しいと確信していても、自分の言動を振り返ってみる必要があります。なぜなら、自分と他人との思いには差異が必ず生じているからです。自分では正しいと思っていたことも別の見地から見ると、実はそうではないということが多々あります。そこで考えの幅を広げることで、自分の成長へと繋がります。

結局、叱ってくれる人を持つということは、自分の自身を高めることです。

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